久しぶりに今日の一曲
ショパン バラード 第3番 変イ長調 作品47
以前購入した、アシュケナージのショパンピアノ曲全集が最近のお気に入りです。
まだまだ知らない曲は多いですね(^^ゞ
この動画の3:00前後あたりのフレーズが大好きです。
マトモな音楽知識のない私は、はっきりとしたメロディ(主題ってやつ?)がないと駄目です。
ショパンやシューマンやラヴェルは好きです。
でもリストやドビュッシーはダメです。
まあこのへんは完全に好みの問題ですけど。
さて表題の件。
なんか住友さんやロミオさんが最近書いてたことを読んで、
私もふと思ったことを書いておきます。
私は心が折れやすいです。
坂に入ったらすぐやる気を無くします。
坂に行く前に河川敷でいいやとか思っちゃいます。
今日は寒いからローラーでいいかと思っちゃいます。
ローラー出すの面倒だからもう寝とこうとか思っちゃいます。
でも、所詮は趣味だからそれでいいと思ってます。
自分の限界に挑戦するのも、趣味の楽しみ方としてはありだと思いますけど、
そういうのはクローズされたフィールドでやるべきです。
自転車は公道を走ります。
自分だけの道ではなく、歩行者、自動車、多種多様な自転車、
いろいろなものとシェアしないといけません。
そんなところで限界に近い力の使い方をするのは安全でしょうか?
絶対なにかが疎かになっちゃうと思います。
限界に挑戦するのは、覚悟のある人が金を払って参加するイベントか、
自宅のローラーの上にとどめておいて、
公道では7割位の力で走るべきじゃないでしょうか?
グループでワイワイ走っていると、
夢中になって全く周りが見えていないひとを見かけます。
「いつでも後ろを振り向ける」余裕を持って走るべきじゃないでしょうか。
あと、自分の正義感も、場合によっては折る必要があると思います。
「こっちが優先だからお前が止まれ」
「ペースを落としたくないから右折車は待っとけ」
こんな気分になってると、絶対ヒヤリハットや事故につながります。
言うべき文句はいったほうがいいでしょうけど、
行動としては折れどころを作っておかないと、怪我するのは自分です。
などと、いつまでたっても速くならない言い訳を書いておきました。
ただ、自分の過失がゼロの事故なんてのはありえないと思ってます。
ていうか、そういう気持ちを持てない人は、必ず同じ事故を起こします。
2回以上落車や事故に遭ってる人には、
必ずそれなりの理由があります。
私にも理由がありました。
だから今は下りはゆっくり走ってます。
住宅があるようなところでは、道路の端に寄りすぎることもやめました。
皆様も、一度自分の普段の走りを見つめ直してみてください。
あ、あと、グループライドで声を出してる人たちも増えてきましたが、
あれって、危険を認知して声に出してるのって、実は先頭の人だけだったりしません?
後ろの方の人とか、ただの伝言ゲームになってる気がするんですけど。
なんか声に出してりゃ安全。みたいな。
もちろん全部がそうじゃないでしょうけど。
その辺が上手な人と走るとすげー楽なんですけど、
それに慣れちゃうと、「自分で危険を探せない」人になっちゃうんですよね。
なので、たまにはソロで走って「すべての責任を自分が負う」癖をつけとくべきだと思います。
今週もノーライドの予感漂う私に応援のClickを
にほんブログ村
こんばんは。ムキになったら視野が狭くなるのが常なのでTTはやらないです。もしやるなら全く同じ条件で、クローズドエリアになるのでレースに出ます。
返信削除>なおとさん
削除そう、どうしてもムキになっちゃうんですよね。
公道でレースごっこしてる人たちは多いですが、
「車通りがないから大丈夫」って、そういう問題じゃないようなきがするんですが…。
最後のグループライドのクダリ、激しく同意です。
返信削除ソレ以前にグループライド(列車走行)の必要性にも大いなる疑問を感じてるので、いずれ似たようなコトを書こうと思ってたんですが、ガラじゃないのと今はブログ書く気ゼロなのでw
落車についてもイロイロ思うトコありますが、ガラじゃ(ry
>ダイさん
削除普段ぼっちで走ることが多いと、色々思うことはあります。
ガラじゃないってw 社会派ブロガーってのはやっぱ「自称」ですかwww
この記事を読ませていただいて、これからの自分の走り方について考えました。
返信削除僕はすでに、公道上での『全力』ゆえの信号無視をやらかしてますし、書かれている事がすごくわかります。
7割。
8割でも良いのでは?と思って計算すると、7割にも納得出来ました(笑)
『正義感も折る』
これは耳が痛いです。
意識します。
ありがとうございます!
>ずー・たにさん
削除7割ってのは深く考えずに感覚で書いただけなんですが(^^ゞ
まあ常に余裕は持っとかんといかんとは思います。
正義感に関しては、自戒も込めてます。
私は「自分が正しい」と思ったことには、なかなか折れることができないので。